ヴェネツィアの貴族の邸宅、ヴィッラ・ヴェネタ
ヴェネツィアを中心としたヴェネツィア共和国が繁栄した時代に遡り、現在のヴェネト州は、イタリアを代表する建築家の活躍した場として、現在もその名残を残した訪れるべき魅力的かつ重要なスポットの点在する土地でもあります。現代にも息づき、同地に残る建築様式を総称したものが、『ヴィッラ・ヴェネタ Villa Veneta』(ヴェネツィア貴族の邸宅、もしくはヴェネトの貴族邸宅)といわれるものです。
いくら頑なに歴史・その習慣を守るイタリアといえども、現代建築様式として、その時代に興隆した建築技術(スタイル)、いわゆるヴェネト様式なる建築を、もはや好んで現用されることはほとんどないかもしれません。しかしながら、ここで注目すべきことは、現存するヴィッラ・ヴェネタというくくりが、建築という分野における歴史のなかで、一地域として特徴づけられた様式である、という他に類をみない点なのです。
ヴェネツィアの歴史と建築物との関係とは
ヴィッラ・ヴェネタがヴェネト州各地に生まれた背景は、15世紀のヴェネツィア貴族と切り離して考えることはできないでしょう。何世紀にも渡り、東方貿易によって利益・財産を享受してきたヴェネツィア貴族は、オスマン帝国の台頭によりその貿易活動の縮小を余儀なくされました。時代の背景の変化とともに変容を遂げる生活様式により、この時代はまさに「地に足のついた生活」に投資をするブームが起こります。
ヴェネツィアという水に囲まれた島での生活に対して、広々とした本土(テッラ・フェルマ)の土地にて穀物を小作人に栽培・管理させ、それら収穫物を河川での運送、ヴェネツィアにて売りさばくというスタイルが確立してきました。それまではヴァカンス地としてセカンド・ハウス的な利用に限られていたテッラ・フェルマでの邸宅設計が、実用生活及び商業の場として利用されるようになったのです。
建築家アンドレア・パッラーディオとヴェネツィア貴族
その当時の時代背景を踏まえつつ、商業魂の強いヴェネツィア人ならではの必然・必須的な生活様式の変化とその営みにより、共和国崩壊以降も19世紀までヴィッラが建てられ続けます。その数は5000軒以上とも言われます。典型的なヴィッラ・ヴェネタの造形構図としては、大邸宅と農作業小屋(バルケッサ)の構成からなりますが、その中でも特に目を引くのが、時代の寵児アンドレア・パッラーディオが関わった建築群(ヴィッレ・パッラディアーネ)です。
1508年にパドヴァで生まれヴィチェンツァで育ったパッラーディオ(~1580)は、パトロンとともに訪れたローマにて、古代ギリシャ・ローマ建築の調査を徹底的に行います。南のミケランジェロ、北のパッラーディオ、共に生きていたルネッサンス期には、ローマで二人がすれ違っていたかもしれません。そして、ヴェネトに戻ってからの邸宅設計には、彼ならではの古典様式ともいえる、貴族の邸宅に農業(農家)を大胆かつ優雅に取り入れる手法が取り入れられ、ヴェネツィア貴族からの設計注文が多く舞い込みます。
現存するパッラーディオによるヴィッラは、ヴェネト州内において10以上存在しますが、もちろん貴族の邸宅というだけが彼に依頼された仕事ではありません。ヴェネツィア共和国の首席建築家として、ヴェネツィアの建築を統率し、また教会建築も残したパッラーディオの功績は、ヴェネトのみならず後世の世界の建築家に影響を多大に与え続けています。1994年には彼の作品が凝縮するヴィチェンツァの街並みが、1996年にはパッラーディオのヴィッラ・ヴェネタの建築群が、ユネスコ世界遺産に登録されました。
近代建築に偉大な功績を残したカルロ・スカルパ
一方、その約400年後、パッラーディオのように土地およびその文脈の研究を行い、さらにそれらを造形・コンセプトに徹底的に反映させる手法をとる世界的に有名な建築家が、この同じヴェネトにて生を受けました。20世紀の巨匠、カルロ・スカルパです。彼は日本への造詣の深い建築家としても知られています。
1906年にヴェネツィアで生まれ、ヴィツェンツァで幼少期を過ごし、そして再びヴェネツィアにて活動を拡げていきました。若くしてすでに建築学校(ヴェネツィア建築大学の前身)で教鞭をとりながら、建築家リナルドの元にて実務経験を積みます(その姪が後のスカルパの妻となる)。また、時期をやや同じくして、ヴェネツィア・ムラーノ島のガラス工房にてデザイナー兼アドヴァイザーに従事しており、材料・素材の扱い方や感じ方に対する彼独自の考察を深めました。
この経験によって、オリエンタル(特に日本の)芸術への嗜好を増長させたとも言われますが、実際、彼は2度来日しており、残念ながら二度目の1978年仙台にて客死しています。それが縁ではありませんが、彼独特のディテール・素材への繊細できめ細かい配慮は、イタリアよりも日本において、よりスカルパの人気がある理由でしょう。彼の作品の中の「ヴェネツィア」、そして作品を見る側への彼からの「メッセージ」「遊び」を探し、自由に解釈することが、スカルパ建築見学の楽しみ方です。
主な作品リスト(およそ年代順)
アンドレア・パッラーディオ
1 | バジリカ(大聖堂) | 1549-ヴィチェンツァ |
2 | ヴィッラ・バルバーロ | 1554-トレヴィーゾ |
3 | ヴィッラ・フォスカリ「ヴィッラ・マルコンテンタ」 | 1565-ヴェネツィア |
4 | ヴィッラ・エーモ | 1556-トレヴィーゾ |
5 | サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会 | 1565-ヴェネツィア |
6 | ロッジャ・デル・カピターニオ | 1572-ヴィツェンツァ |
7 | ヴィッラ・アルメーリコ・カープラ「ラ・ロトンダ」 | 1605-ヴィチェンツァ |
8 | ポンティ・ディ・バッサーノ | 1569-ヴィツェンツァ |
9 | パラッツォ・バルバラーノ | 1580-ヴィツェンツァ |
10 | レデントーレ教会 | 1576-ヴェネツィア |
11 | テアトロ・オリンピコ | 1580-ヴィツェンツァ |
12 | テンピエット・ディ・ヴィッラ・バルバーロ | 1580-トレヴィーゾ |
カルロ・スカルパ
1 | ヴェネツィア大学および大講堂改修 | 1937,1956-ヴェネツィア |
2 | アッカデミア美術館改修 | 1945-ヴェネツィア |
3 | コッレール美術館改修 | 1953-ヴェネツィア |
4 | ヴェネズエラ・パヴィリオン(ビエンナーレ) | 1956-ヴェネツィア |
5 | カノーヴァ彫塑美術館増改築 | 1957-トレヴィーゾ |
6 | カステル・ヴェッキオ美術館改修 | 1964-ヴェローナ |
7 | オリヴェッティ・ショールーム改修 | 1958-ヴェネツィア |
8 | クエリーニ・スタンパーリア財団改修 | 1963-ヴェネツィア |
9 | ヴェネツィア建築大学正門 | 1966-ヴェネツィア |
10 | ブリオン墓地 | 1978-トレヴィーゾ |
11 | ヴェローナ市民銀行改修 | 1981-ヴェローナ |
12 | パラッツェット庭園改修 | 1975-パドヴァ |
13 | オットレンギ邸 | 1979-ヴェローナ |
14 | ヴェネツィア大学文学部玄関 | 1978-ヴェネツィア |
ヴェネトの建築を巡るツアーもご案内できます
これらのヴェネトの2大建築家の残した偉業を訪れる8時間ツアーをご案内できます。ご興味のある方はぜひお問い合わせください。
ツアー問い合わせ(担当:白浜 亜紀)
(1)パッラーディオのツアー(8時間)
- ルート例 9:00ヴェネツィア発→10:30ヴィッラ・エーモ(入場料6E/人)→12:30昼食/アーゾロにて→14:30ヴィッラ・バルバーロ→17:00ヴェネツィア着
- 施設休館月曜日。季節によって開館日が変わるのでご相談ください
- 2名参加:250ユーロ/人、3名参加:180ユーロ/人
(2)スカルパ編 ~ アーゾロ丘陵とスカルパ建築ツアー(8時間)
- ルート例 9:00ヴェネツィア発→10:30ブリオン墓地(見学謝礼20E)→12:30アーゾロにて昼食→14:30 カノーヴァ彫塑美術館(入場料8E/人)→17:00ヴェネツィア着
- 美術館は月曜休館。カノーヴァのテンピオ(カノーヴァ設計)にも寄れます
- 2名参加:250ユーロ/人、3名参加:180ユーロ/人
(3)ヴェネト近古建築家の競演スカルパ&パッラーディオ編ツアー(8時間)
- ルート例 9:00ヴェネツィア発→10:30ブリオン墓地(見学謝礼20E)→12:30アーゾロにて昼食→14:30 カノーヴァ彫塑美術館(入場料8E/人)→17:00ヴェネツィア着
- ロトンダ月曜休館。水・土曜日は入館可能(10E)。火木金は外観のみ(5E)
- 2名参加:250ユーロ/人、3名参加:180ユーロ/人
ヴェネトの奥深い文化に触れてください
ヴェネト州に住む者として、地元でも非常に貴重で大切にされている近古代の建築物、美術を多くの方に訪れていただきたいです。美しいヴィッラの散策に感興がそそられる方、そして建築の分野を専門にされている方まで、大変興味深いものであること間違いありません。一日で主要建築物をまわるツアーもご用意しており、日本語での専門家による解説も付きますので、どうぞお問い合わせください。
パドヴァ在住:白浜 亜紀 スタッフ一覧