イタリアの世界遺産一覧

マテーラの世界遺産サッシ イタリアについて
1993年に世界遺産に登録された、マテーラの洞窟住居(バジリカータ州)

イタリアは世界遺産の数が世界でもっとも多い

世界一の数を誇るイタリアのユネスコ世界遺産は、2021年4月の時点でじつに55件もあります。ちなみに同数1位に中国(55件)、3位スペイン(48件)、4位ドイツ(46件)、5位フランス(45件)となっています。日本は文化遺産が23件(文化遺産19、自然遺産4)です。

2016年時点で、世界遺産は1052件登録されていて、その内訳は文化遺産814件、自然遺産203件、複合遺産35件となっています。文化遺産の登録数の方が多く、地域としてはヨーロッパの登録数が多いです。

イタリアの世界遺産一覧(登録年、場所、解説)

  1. ヴァルカモニカの岩絵群 – Arte rupestre della Val camonica
    • 1979年 トリノとその周辺(ピエモンテ州)
    • アルプス山麓のオーリオ川沿いに約70キロ続く渓谷で、この地区の岩石には約1万年前の絵柄から、ローマ帝国時代のアルファベットまで約8000年間に渡る「線刻画」が数多く残っています。岩に刻まれた14万以上の絵柄は農耕、航海、戦争、魔術、地図などをテーマに描かれていて、ナクアネ岩壁彫刻国立公園(Parco Nazionale delle Incisioni Rupestri di Naquane)内や、ナドロ、ルイーネ等のカモニカ渓谷の何箇所かで見ることができます。
  2. ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
    Centro storico di Roma, le Proprieta della Santa Sede che godono dei diritti di extraterritorialita, e San Paolo Fuori le Mura
    • 1980年 ローマ市内(ラツィオ州)
    • ローマは紀元前753年に建国されたといわれ、共和国から帝国へと発展しました。歴史地区には80年にティトゥス帝が建築した競技場「コロッセオ」、パラティーノの丘とカンピドリオの丘の中間に位置するローマ帝国の政治・商業の中心「フォロ・ロマーノ」、217年にカラカラ帝によって造られた1600人収容可能だった公衆浴場「カラカラ浴場」、ドムス・アウレア、古代ローマの神々の神殿「パンテオン」、アウグストゥス帝霊廟などがあります。サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は4世紀にコンスタンティヌス帝により建築された、聖パウロの墓がある聖堂です。
  3. レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院
    La Chiesa ed il Convento Domenicano di Santa Maria delle Grazie con “La Cena” di Leonardo da Vinci
    • 1980年 ミラノ市内(ロンバルディア州)
    • 言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」とその教会です。ダヴィンチは1495年から1497年にかけてこのフレスコ画を、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に隣接するドメニコ会修道院の食堂に描きました。キリストが12人の弟子の中に自分を裏切るものがいることを告げた直後の場面が、最高の技術で壮大に描かれています。ゴシック様式の聖堂はドミニコ会の修道士ソラーリにより1466年から1490年の間に建築されたといわれていて、建築家ブラマンテにより回廊なども加えられて美しい空間となっています。
フィレンツェ中心街
1982年に世界遺産登録された「フィレンツェ歴史地区」(トスカーナ州)
  1. フィレンツェ歴史地区 – Centro storico di Firenze
    • 1982年 フィレンツェ市内(トスカーナ州)
    • フィレンツェはフィレンツェは屋根のない博物館ともいわれ、まさに町全外が芸術作品で溢れています。その輝かしい歴史はメディチ家のもと、ルネッサンス(14世紀から16世紀)に花開きます。13世紀のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、ウッフィッツィ美術館、ピッティ宮殿、またジオット、ブルネッレスキ、ボッティチェッリ、ミケランジェロといった大芸術家の作品がごく普通に町の中に見かけることができます。芸術の町、花の都フィレンツェは600年経った今でも世界の人々を魅了し続けています。
  2. ヴェネツィアとその潟 – Venezia e la sua Laguna
    • 1987年 ヴェネツィア(ヴェネト州)
    • ヴェネツィアはゲルマン族の侵攻から逃れるために5世紀頃、湿地帯(ラグーナ)に街を作ったのが始まりと言われていて、実に118もの小さな島からなっています。10世紀には海洋貿易で栄えて、海運共和国として巨大な勢力となりました。
      建築物ではドゥカーレ宮殿やサンマルコ大聖堂、カナルグランデ(大運河)沿いのきらびやかな貴族パレスが多く誕生し、芸術面ではルネッサンス時代にティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットというヴェネツィア派と呼ばれる画家を輩出しました。
      後に大航海時代が始まり、アメリカ大陸や東洋諸国の発見によって貿易の中心が大西洋や太平洋に向かい、アドリア海の女王と呼ばれたヴェネツィアも衰退してしまいます。
      そのおかげか町には古い町並みがそのまま残り、車は町の中に入れず、街中の移動は今も小型船タクシー(ヴァポレット)のみで迷路のような美しい情景を楽しむことができます。
  3. ピサのドゥオモ広場 – Piazza del Duomo a Pisa
    • 1987年 ピサ市内(トスカーナ州)
    • 町の中心にある奇跡の広場(ピアッツァ・デイ・ミラーコリ Piazza dei Miracoli)と呼ばれる緑溢れる広場です。11世紀から12世紀にかけてピサの繁栄の象徴ともいえる、洗礼堂、大聖堂、鐘楼、墓所回廊のがあります。
      鐘楼(ピサの斜塔)は円筒形の8階建てで、階段は296段あります。傾きは地盤の弱さが原因とされ当初の予定の約半分の高さ(55メートル)で完成を余儀なくされました。傾斜増加のため1990年に立ち入り禁止となりましたが、2001年12月に10年の改修工事が完了して再び一般公開が開始されました。
サン・ジミニャーノ歴史地区
1990年に世界遺産に登録された「サン・ジミニャーノ歴史地区」(トスカーナ州)
  1. サン・ジミニャーノ歴史地区 – Centro storico di San Gimignano
    • 1990年 サン・ジミニャーノ(トスカーナ州)
    • 美しい塔の町サン・ジミニャーノは、ローマを巡礼する主要街道フランチジェーナが通っているため、当時重要な宿場町でした。13世紀に入ると街がさらに繁栄して、貴族の権力と富の象徴としての塔建設が流行したのです。当時は50mを超える塔を含む72もの塔が街内に建設されましたが、現存するのはわずかに14。町も14世紀に衰退したため、13世紀から14世紀の町並みがよく残っています。またルネッサンス期の名画が数多く残っていることでも有名です。
  2. マテーラの洞窟住居 – I Sassi di Matera
    • 1993年 マテーラ(バジリカータ州)
    • 8世紀から13世紀にかけて東方からの修道僧が住み着いたと言われている洞窟住居サッシ。サッソとはイタリア語で岩を意味していて、サッシも石灰岩からできあがり何層にも重なっています。またサッシの中心には、13世紀に建築された石造のドゥオモ(大聖堂)があります。
      通常はバーリ(Bari)から列車で行くことになるでしょう。バーリからはアルベロベッロのトルッリにも行きやすいのでバーリを拠点に観光すると便利です。
  3. ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ
    Citta’ di Vicenza e le ville del Palladio in Veneto
    • 1994年 ヴィチェンツァおよびヴェネト州内の数箇所
    • ヴィチェンツァは紀元前2~1世紀に建設されたといわれ、15世紀にヴェネツィア共和国の統治下におかれたことで繁栄しました。16世紀になるとルネサンス最初の専門建築家といわれるアンドレア・パッラーディオが活躍して、市内にバジリカやオリンピコ劇場の他、23の建築物を残しています。
      パッラーディオの建築スタイルは英国、欧州各国や北米にまで広まり、1994年にヴェネト地方に点在するパッラーディオ設計のヴィッラが世界遺産として登録されました。
  4. シエナ歴史地区 Centro storico di Siena
    • 1995年 シエナ市内(トスカーナ州)
    • シエナは13世紀までに西ヨーロッパ最大の金融街として栄え、当時はフィレンツェと覇を競うほどの強力な都市国家となっていました。街は12世紀から15世紀にかけて作られたゴシック建築が目立ち、芸術面もドゥッチョ、ロレンツェッティ兄弟、シモーネ・マルティーニなどによって世界的な名声を得るまでになりました。中心街には「世界一美しい広場」といわれるカンポ広場があり、絵の具にも黄褐色のシエナ色と呼ばれる色が存在していて、その町の色、土地の色となっています。
ナポリ中心街 スパッカナポリ
1995年に世界遺産登録された「ナポリ歴史地区」(カンパニア州)、写真はスパッカナポリ
  1. ナポリ歴史地区 Centro storico di Napoli
    • 1995年 ナポリ市内(カンパニア州)
    • ギリシャの植民地として紀元前470年に建設されたといわれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに「新しい町」を意味する「ネアポリス」が語源になっていると言われます。ヴェスヴィオ火山をはじめとする火山地帯で紀元後62年と79年に大地震の被害にあっています。
      紀元前4世紀には古代ローマ、11世紀にノルマン人に支配され、13世紀にアンジュ家によってナポリ王国が誕生します。その後16世紀にスペイン、19世紀にブルボン家にも支配され様々な文化を吸収しました。町の中心にはスペイン統治時代の王宮、ローマ帝国時代の卵城、アンジュ家ゆかりのヌオーヴォ城やサンタ・キアラ教会が残っています。
  2. クレスピ・ダッダ – Crespi d’Adda
    • 1995年 カプリアーテ・サン・ジェルヴァシオ(ロンバルディア州)
    • ロンバルディア州ベルガモ県カプリアーテ・サン・ジェルヴァージオに、19世紀の産業革命時に企業家クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピによって労働者の理想郷=ユートピアとして作られた村がクレスピ・ダッダです。
      自分の工場労働者とその家族のためにアッダ川のほとりの所有地内に町をつくり、紡績工場、労働者用の家、学校、病院、教会、墓地などを建て、当時としてはまさに画期的な思想のもとに作られた環境のよい町です。今も工場跡や建物がそのまま残っていてとても美しい風景を散策することができます。
  3. フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯
    Ferrara: citta’ del Rinascimento e il delta del Po
    • 1995年 フェッラーラ(エミリア=ロマーニャ州)
    • ポー川の支流ポー・ディ・ヴォラーノ流域にあるフェッラーラは、14~16世紀にエステ家によって整備された美しい町です。ルネッサンス文化の中心地ともなり、ピエロ・デッラ・フランチェスカやマンテーニャなどがエステ家のために活躍し、芸術の都となりました。エステ家は1598年にフェラーラから追放され、町は教皇領に編入されます。
      1492年から「理想都市」をめざして新しい街づくりが進められ、今もその都市設計に基づいた美しい街並が残っています。
  4. デル・モンテ城 – Castel del Monte
    • 1996年 アンドリア市郊外(プーリア州)
    • 1240年ころ、当時のシチリア王であった神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によってバーリ近くの高台に建てられました。別荘または客をもてなすために使用されたといわれるこの城は、全体が八角形をしていて、各角にも八角形の小塔、中心部にも八角形の中庭があります。イスラムと北方ヨーロッパゴシック的な建築様式の調和が見事で、1ユーロセント硬貨の裏面にもデザインされています。
アルベロベッロのトゥルッリ
1996年に世界遺産登録された「アルベロベッロのトルッリ」(プッリャ州)
  1. アルベロベッロのトルッリ – Trulli di Alberobello
    • 1996年 アルベロベッロ
    • トゥルッリはサレント半島で多く見られる形式の住居で、特にアルベロベッロが有名です。白い漆喰塗りの壁に円錐形のとんがり屋根が可愛らしく、童話に出てきそうな変わった形をした建物です。驚くことに先史時代から伝わる建築方法で造られた建物が現在も生活に使用されていて、観光客が宿泊できるホテルとなっているところもあります。ただし冬は室内も寒いので宿泊には十分注意してください。
      アルベロベッロへはバーリ(Bari)から列車で行くことができ、日帰り旅行にもちょうど良い距離と規模です。
  2. ラヴェンナの初期キリスト教建築物群 – Monumenti paleocristiani di Ravenna
    • 1996年 ラヴェンナ
    • アドリア海に面したラヴェンナは、410年の西ゴート族によるローマ侵略の後、西ローマ帝国、そして東ゴート王国の首都、さらには東ゴート王国を滅ぼしたビザンティン帝国(東ローマ帝国)西領域の首都という華やかな歴史を持っています。
      5世紀初頭から6世紀末に建設された初期キリスト教の聖堂・礼拝堂や、モザイク画の傑作の数々が今も色鮮やかに残っています。ガッラ・プラキディア廟堂、大聖堂付属洗礼堂、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂、大司教館礼拝堂、テオドリック廟、サン・ヴィターレ聖堂、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂などに、みごとな色鮮やかなモザイクが残っています。これらが1500年前に造られたのはまさに奇跡といえるでしょう。
  3. ピエンツァ市街の歴史地区 – Centro storico della citta di Pienza
    • 1996年 ピエンツァ(トスカーナ州)
    • ピエンツァは人口約2000人ほど、東西400メートルほどの小さな美しい町です。
      1459年に当時のローマ法王ピウス2世が自分の生まれ故郷であるピエンツァを「思い通りの町」「理想の街」とするべく、建築家ベルナルド・ロッセリーノに町の改造を命じたというユニークなエピソードで生まれました。町の中心にある美しいピウス2世広場は、ルネッサンスの教会や宮殿で囲まれ、大聖堂の内部はドイツ風ゴシックが採用されています。ルネッサンス期の人間的な都市設計思想や透視図法を最初に採用した街として貴重な存在となっています。町の周囲に広がるオルチャ渓谷の眺めもすばらしいです。
      モンテプルチャーノもしくはシエナから長距離バス(TRA.IN)で行けます。
  4. カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群
    Reggia di Caserta, il Parco, l’acquedotto Vanvitelli e il Complesso di San Leucio
    • 1997年 カゼルタ( カンパニア州)
    • 18世紀にナポリ王国カルロ3世がベルサイユを凌ぐ宮殿をめざして建築家ルイジ・ヴァンヴィテッリに依頼した王宮です。1752年に着工して1780年に完成を迎えた王宮は、劇場、礼拝堂、博物館を含め、1200もの部屋(2階の36部屋が一般に公開)がある巨大で壮麗な建物です。宮殿の裏には全長3キロ、120ヘクタールにおよぶ庭園が広がっていて、滝、彫刻、噴水などが芸術作品の用に美しいです。再奥には大きな滝が流れ落ちていて、建築家ヴァンヴィテッリは庭園の水を供給するため、古代ローマ風の美しい水道橋も建設したといいます。
  5. サヴォイア王家の王宮群 – Residenze Sabaude
    • 1997年 トリノとその周辺(ピエモンテ州)
    • 16世紀末にトリノがサヴォイア公国の首都となり、トリノ市中心のカステッロ広場からその周辺地区に王宮や宮殿、庭園など様々な華麗な建物群が建てられました。当時の著名建築家・芸術家達が最新技術を駆使したもので、その後イタリア王ともなったサヴォイア家の栄華と権力の象徴です。主なものに王宮(Palazzo Reale)、マダマ宮殿(Palazzo Madama)、カリニャーノ宮殿(Palazzo Carignano)、ヴァレンティーノ城(Castello del Valentino)、リヴォリ城(Castello di Rivoli)、モンカリエーリ城(Castello di Moncalieri)、カッチャ宮殿とストゥピニージ宮殿(Palazzina di Caccia di Stupinigi)があります。
  6. パドヴァの植物園 – L’Orto botanico di Padova
    • 1997年 パドヴァ(ヴェネト州)
    • イタリアで2番目に古いパドヴァ大学(1222年創立、1位はボローニャ大学)の研究目的で創設されてた世界最古の植物園(1545年建造)。敷地の面積は2.19ヘクタールで、一部当時の配置を守っています。1585年に植樹された『ゲーテのヤシ』もあり、これは1786年に訪れたゲーテがこのヤシの木を見て独自の自然観をもったと伝えられているためです。また、庭園は円形を基調とし、4つのエリアで区切られ、植物、医学、薬学、環境学などの学問の発展にも大きく貢献しました。
      この植物園では、ヨーロッパで最初にヒマワリの花を開花させることに成功し、イタリアで初めてジャガイモの栽培も行われたそうです。
  7. ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)
    Portovenere, Cinque Terre e Isole (Palmaria, Tino e Tinetto)
    • 1997年 ポルトヴェーネレ(リグーリア州)
    • チンクエテッレ(Cinque Terre)とはイタリア語で「5つの土地」という意味で、モンテロッソ(Monterosso)からリオマッジョーレ(Riomaggiore)までのリグーリア海岸沿いにある5つの村を指します。切り立った崖とそれに張り付くようにたたずむ町の景色がまさに絶景です。入り組んだ海岸線、カラフルな家々、崖沿い伸びる眺めの美しい道、広がる大自然、海を臨む教会など、まるで絵はがきのような景色が楽しめる、イタリアでも有数の観光地です。
  8. モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカとグランデ広場
    Modena: Cattedrale, Torre Civica e Piazza Grande
    • 1997年 モデナ(エミリア・ロマーニャ州)
    • 大聖堂は1099年に建設が始められ、建築家ランフランコと彫刻家ヴィリジェルモ、この二人の偉大な芸術家によって完成しました。ヨーロッパを代表するロマネスク建築の一つで、12世紀初期を代表する傑作です。聖堂入り口の円柱を支える二頭のライオン像は古代ローマ時代の物で、基礎部分を掘っている際に発見したと言われています。大聖堂脇にあるすらりと美しい鐘楼トッレ・チヴィカ(Torre Civica)は市民から親しみをこめて当時よりギルランディーナ(=小さな花)と呼ばれています。大聖堂前のグランデ広場(Piazza Grande)も、建築的芸術性が高くとても気持ちのいい広場です。
  9. ポンペイ、エルコラーノおよびトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
    Aree archeologiche di Pompei, Ercolano e Torre Annunziata
    • 1997年 ポンペイ(カンパニア州)
    • 1世紀まで存在したナポリ近郊の都市国家で、79年8月24日のヴェズヴィオ火山の噴火によって壊滅しました。豊かなローマ都市ポンペイやエルコラーノ、その他山麓の町々が火砕流の溶岩や灰に埋もれてしまいました。18世紀になって発掘が進められ、灰で埋もれたポンペイは2000年前の当時の生活をそのままに残していて貴重な存在です。驚くべきは、焼いたままのパンや、テーブルに並んだ食事と食器が当時のまま残り、当時の硬貨、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、(ラテン語の)壁の落書きなども発掘されています。ローマ時代の人々の贅沢で充実した市民生活の様子をかいま見ることができます。
  10. アマルフィ海岸 – Costiera Amalfitana
    • 1997年 アマルフィ(カンパニア州)
    • ナポリのあるカンパニア州の都市アマルフィの海沿いに断崖絶壁が続く美しい海外線が広がっています。ソレント半島、サレルノ湾も美しいです。起源は古代ローマにさかのぼり、海に面し複雑な地形が敵の攻撃から守るのに適していました。その後はピサやヴェネツィアやジェノヴァと地中海の覇権を争い、黒海にも商業活動を広げる大きな海洋共和国として栄えます。アマルフィやラヴェッロなどの街では秀逸な建築物や芸術作品も多く見ることができます。険しい岩壁の続く地形は、ブドウやレモンの段々畑、果樹園、放牧地など様々に活用され、真っ青な地中海の美しい自然景観が楽しめます。
  11. アグリジェントの遺跡地域 – Area Archeologica di Agrigento
    • 1997年 アグリジェント(シチリア州)
    • シチリア島の南岸の丘陵地帯に広がるアグリジェントは、紀元前6世紀からギリシャ植民地として古代地中海世界の重要都市のひとつでした。その頃の遺跡が現在も残っていて、とても美しい都市、景観となっています。保存状態のよいコンコルディア神殿をはじめ、古代ギリシャ神殿群や、ローマ時代の都市遺跡や前キリスト教時代の埋葬跡等も出土されています。神殿を利用してファッションショーなども開かれます。
  12. ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(カサーレ荘) – Villa romana del Casale
    • 1997年 ピアッツァ・アルメリーナ(シチリア州)
    • シチリア島のエンナ県にあるピアッツァ・アルメリーナ(Piazza Armerina)という町にある別荘。ローマ帝政時代の3~4世紀に、地元貴族が田園に建てた豪奢な別荘跡です。贅をつくした建物は圧巻で、特にほぼ全室の床を埋め尽くすモザイク画の質の高さと規模は古代ローマ時代最大と言われています。写真を教科書で見たことがある人も多いでしょう。モザイクにはアフリカの影響を受けた動物やビキニの女性など斬新な図像も描かれ芸術的価値も高く、当時この地まで経済力を及ぼした古代ローマ文明の跡も知ることができる貴重な遺跡となっています。
  13. スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ – Su Nuraxi di Barumini
    • 1997年 バルーミニ(サルデーニャ州)
    • サルデーニャ州にあるバルーミニにある先史時代の遺跡です。サルデーニャ島では紀元前2000年前から青銅器時代の頃にヌラーゲとよばれる巨石を円筒・円錐状に積み上げたこの島独特の要塞構造の建物が、先住民族により造られていました。バル-ミニ村にあるスー・ヌラージ遺跡は今から3500年前、紀元前15世紀前後から建てられたヌラーゲの巨大な城塞、塔、集落、防壁などの大集合体で、先史時代の建築例として考古学的にもとても貴重で重要な遺跡となっています。
  14. アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バジリカ
    Zona Archeologica e Basilica Patriarcale di Aquileia
    • 1998年 – アクイレイア(フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州)
    • イタリアの最北東のフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の町アクイレイアは、ローマ帝政初期には大司教座も置かれ、人口は20万人にも達したほどです。ローマ帝国第四の豊かな商業都市だったのですが、5世紀にフン族のアッティラにより都市は破壊されてしまいました。町の遺跡の多くは未発掘のまま地下に眠っていて、総主教聖堂バジリカの床下から発見された床一面を覆う4世紀のモザイクはとても有名です。そのモザイク画から、アクイレイアが東方・中央ヨーロッパへの中継地として、キリスト教伝導という宗教的にも重要な役割を担っていたことがわかります。
  15. ウルビーノ歴史地区 – Centro storico di Urbino
    • 1998年 ウルビーノ(マルケ州)
    • ウルビーノはマルケ州の都市で、15世紀に芸術文化の中心地としてその名を馳せ、イタリアやヨーロッパ各地から学者や芸術家達が集まるほどの人気となりました。しかし16世紀以降文化・経済は衰退してしまし、美しい教会、芸術作品が残るようになります。当時の繁栄を物語るドゥカーレ宮殿は現在マルケ国立博物館として、この地に生まれた巨匠ラファエロの絵画をはじめ多くの世界的に有名な美術作品を展示しています。ウルビーノの町並みも大変美しく、ルネッサンスの面影を残した宝石のような町です。
  16. パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントとディアノ渓谷国立公園とパドゥーラのカルトジオ修道院
    Parco Nazionale del Cilento e Vallo di Diano con i siti archeologici di Paestum e Velia e la Certosa di Padula
    • 1998年 パエストゥム(カンパニア州)
    • チレント・ディアノ渓谷国立公園とその周囲一帯は、先史時代から中世にかけて通商・政治・文化面で歴史的な変遷を経てきた地域である。古代ギリシャ殖民地とイタリア原住民族の境界地でもあり、紀元前5世紀頃栄えたパエストゥムやべリアには古代ギリシャの神殿や遺跡が残っている。緑の渓谷に広がるパドゥーラには14世紀に創立された南イタリア最大の規模を誇るサン・ロレンツォ・カルトゥジオ修道院がある。
  17. ヴィッラ・アドリアーナ(ハドリアヌス帝の別荘) – Villa Adriana
    • 1999年 ティヴォリ(ラツィオ州)
    • ローマ帝国ハドリアヌス帝が2世紀に建てさせた広大な別荘跡。皇帝が訪れた帝国領土内の各所を偲ばせる建物や神殿、大浴場など、エジプト、ギリシャ、ローマ的諸要素をもった建物群が見事に調和して建てられていた。ここにみられる古典建築群のすばらしさは後世の建築やデザインにも大きく影響を及ぼしたという。
  18. ヴェローナ市街 – Citta’ di Verona
    • 2000年 ヴェローナ(ヴェネト州)
    • 歴史的都市ヴェローナは紀元前1世紀に誕生し、13-4世紀にはスカラ家統治下、15-18世紀にはヴェネツィア共和国の一部として栄えた。古代ローマ時代の円形闘技場アレーナや、中世の城カステル・ヴェッキオ、ルネッサンス期の建築物等を多く今に残している。ロミオとジュリエットの舞台ともなっている美しい街はまた、芸術をとりいれながら2000年に渡りたゆまず発展し続けた要塞都市の好例でもある。
  19. アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群
    Assisi, la Basilica di San Francesco e altri siti Francescani
    • 2000年 アッシジ(ウンブリア州)
    • アッシジは聖フランチェスコゆかりのキリスト教信者の巡礼地。荘厳なる聖フランチェスコ聖堂内部を飾る巨匠ジオット、チマブーエ、マルティーニ、ロレンツェッティらのフレスコ画の数々は中世美術史上でも重要である。古代ローマ時代からの歴史あるこの街は、ウンブリアの美しい自然と、聖人が説いた平和の教え、そして後世の建築・美術の基礎ともなった宗教建築物群とが一体化した精神的、芸術的な美しさを秘めた場所である。
  20. ティボリのヴィッラ・デステ(エステ家別荘) – Villa d’Este
    • 2001年 ティボリ(ラツイオ州)
    • このエステ家別荘の館と庭園は、洗練されたルネッサンス文化の美の結晶である。特に緑豊かな庭園にはふんだんな水と彫刻などの装飾で趣向をこらした噴水が数多く造られ、16世紀のイタリアを代表する華麗な庭園芸術であるだけでなく、その後のヨーロッパ庭園設計にも大きく影響を与えた。
  21. ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々 – Citta’ Barocche del Val di Noto
    • 2002年 ノート、ラグーサ、カターニアなど(シチリア州)
    • シチリア島南東部にある、ヴァル・ディ・ノートとよばれるエリア周辺の8つの町々は、1693年にエトナ山周辺地域をおそった大地震による町の全壊から、都市計画による驚異的再建を実現し、見事な後期バロック様式の建築・芸術を町に花咲かせた。今もそれぞれの街には美しい装飾を施したバロック様式の建物が多く残り、美しい景観を見せている。
  22. ピエモンテ州とロンバルディア州のサクリ・モンティ
    Sacri Monti del Piemonte e della Lombardia
    • 2003年 ヴァラッロ・セジア(ピエモンテ州)など
    • 「サクリ・モンティ」とは「サクロ・モンテ」の複数形で、「聖なる山」を意味する。16世紀後半から17世紀にかけてキリスト教信者の巡礼のため山に数多くの礼拝堂や聖堂が建てられた。登録された北イタリア9箇所のサクロ・モンテはどれも参拝地として神聖な雰囲気をもっているだけでなく、丘、森、湖といった自然環境と建築物群が美しく調和し、建物内部の宗教壁画・木彫・塑像の芸術性も大変高く、建築・芸術と自然を見事に融合させた成功例である。
イタリアの世界遺産 オルチャ渓谷
2004年に世界遺産登録されたオルチャ渓谷一帯(トスカーナ州)
  1. オルチャ渓谷 – Val d’Orcia
    • 2004年 オルチャ渓谷一帯(トスカーナ州)
    • シエナの南東部に広がるこの一帯は14-15世紀にはシエナの領土となり、絵のような美しい景観づくりが大切にされた。なだらかな丘に並ぶ糸杉といった風景はルネッサンスの時代も今も数多くの芸術家達に愛され創作意欲をおおいに刺激している。のどかな美しい牧歌的自然が農家や集落、街道や沿道の修道院や宿などとも融合し保護された景観は見事である。ピエンツァ、モンタルチーノ、カスティリオーネ・ドルチャなど5つの町とその全域は「ヴァル・ドルチャ美術・自然・文化公園になっている。
  2. チェルヴェーテリとタルクイーニアの古墳群
    Necropooli etrusca di Cerveteri e Tarquinia
    • 2004年 – チェルヴェテリ、タルクィニア(ラツィオ州)
    • エトルリアは紀元前9世紀と紀元前1世紀の間、中央イタリアに存在し交易で栄え高度な文明をもっていた。葬祭芸術にも優れ「ネクロポリ(死者の街)」とよばれる大規模でモニュメンタルな墳墓の遺跡を残した。チェルヴェテリの古墳群は道に沿って家のような墳墓が並びあたかも町のようである。タルクィニアに点在する6000の古墳のうち200は内部が鮮やかな壁画で飾られており、大変興味深い。古い壁画は紀元前27世紀にまで遡るものである。
  3. シラクーザとパンターリカの断崖の墳墓群
    Siracusa e la necropoli rupestre di Pantalica
    • 2005年 – シラクーサとその近郊(シチリア州)
    • 紀元前8世紀にギリシャ人植民地が建設されたシラクーサは、当時キケロが「最も偉大で美しいギリシャ都市」と賞賛したように繁栄をみせた。今もこの街にはアテネ神殿(後に教会に改修)、ギリシャ劇場、ローマ劇場など当時の建物の他、その後次々とシチリア島を支配した文明と歴史の跡が数多く残っている。
      パンタリカは原始時代のシチリアの重要地のひとつだった。ネクロポリとよばれる古墳には、岩肌に洞窟のように掘られた500以上の墓があり、そのほとんどは紀元前13~7世紀のもの。また周辺にはビザンティン時代のものとみられる遺跡が、アナクトロンとよばれる王宮跡地のそばに残ってる。
  4. ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ
    Genova Le Strade Nuove ei Palazzi dei Rolli
    • 2006年 – ジェノヴァ(リグーリア州)
    • 16世紀に総督ドリアのもと、スペインと同盟を結び、欧州カトリック世界のメイン銀行となって金融業で繁栄したジェノヴァ共和国。世界から訪れる来賓用迎賓館の必要性から、16世紀後半から17世紀初頭にかけて、富裕貴族層が住む豪華な館・大邸宅を厳選し、“ロッリ”とよばれるリストに登録させて、それらを国家の来賓の宿泊先として法で制定していました。「パラッツィ・デイ・ロッリ(ロッリの館)」と呼ばれたこれらの大邸宅群は建築的にも価値あるものが多く、それらの建物のため次々に新道(ストラーデ・ヌオーヴェ)が造られ、それらの通り沿いは美しいルネッサンスやバロック様式の館が建つ有力諸貴族の豪奢な大邸宅地となりました。中でも、1551年から整備の始まった最初の新道は、現在はガリバルディ通りと名を変え、16世紀に共和国の政治を掌握した有力貴族が建てた豪勢な大邸宅・館の数々が、現在は美術館や市庁舎、銀行・店舗などとして当時の栄華を今に伝えています。
タイトルとURLをコピーしました