礼拝堂、聖骸布の写真展示、そして博物館の3部に分かれている。
日本語の案内がないので、以下詳細に説明します。
聖骸布について、またその歴史に関しては、「聖ヨハネ大聖堂」のページをご参照ください。
第一部 礼拝堂
まず、ガイドの方とともにサヴォイア家の礼拝堂へ。
そこには、「聖骸布のレプリカ」が展示されている。
聖骸布のレプリカは、長らく聖骸布の所有者だったサヴォイア家所有の「聖骸布の額」に入れられている。ロココ調が美しい教会内部も必見。ここのガイドはイタリア語のみ。
写真撮影も可。
第二部 聖骸布の写真
無料で貸し出される4カ国語のオーディオガイド(伊、英、仏、西)を手に、年代順に展示された聖骸布を写した写真を見学。パネルの表示はイタリア語だけ。
1898年にセコンド・ピア氏によって撮影され、センセーションを巻き起こした「人物像」のネガ写真が展示されているのはここ。
聖骸布は、数百年の年月を経て色あせた布である上、シャンベリーで火災にあい、何カ所も焼失してしまっているため、初めて目にした人々にはどこに顔があるのかすら分からない(写真、中央左寄りにある)。
それが、ピア氏撮影の一枚のネガフィルムになり、肉眼では見えにくい人物像の細部までが人々の目の前に姿を現す。その時の衝撃が、このセクションにくると感じられる。
最新技術でハイビジョン撮影された現在の聖骸布写真に至るまで、撮影技術の向上と共に細部が次々と明らかになっていく聖骸布。聖骸布を知らない人でもここで次第に興味がかき立てられて行く趣向だ。
第三部 聖骸布博物館
最後のセクション、博物館には聖骸布のレプリカや3D画像と、聖骸布の辿って来た16世紀以降の歴史、科学分析の方法、結果やそれにまつわるエピソードが展示されている。こちらもオーディオガイドつきで。パネル説明はイタリア語のみ。
博物館に日本語のガイドはないので、以下に詳細説明を加えておきました。
科学分析
聖骸布の真偽をはかる目的で本格的な科学分析が実施され始めたのは1973年以降。数々の分析が行われてきた。
- 布に付着した物質の解析
ここで議論にのぼっているのが、花粉粒。布から検出された花粉には、イタリアやフランスに広く分布するものが多かった(これは聖骸布の所有者と保存地に由来)のだが、中でも目を引いたのが砂漠性植物の花粉。この種類の植物はパレスティナ/アナトリア地方にしか分布していないものだと判明した。 - 布に人物像を写し出す実験
遺体に塗布されたアロエとミリル(植物)の混合物が、布と接触した皮膚から発生したアンモニアの揮発物とともに、リネン布にネガ状に焼き付いたのではないかという説は、1901年にポール・ヴィニョン氏から提唱された。
1978年の分析では、人物像はリネン布の上表部分セルロースが変質して焼き付いているという結果が出たものの、どの説のどの手法をもってしても、聖骸布と完全に同一の像をリネン布に写し出すことには成功していない。 - 人物のまぶたに載せられた硬貨の判定
1977年アメリカの科学者チームが、聖骸布の立体映像化を果たした。その際、2次元の写真では見えていなかった詳細が明らかになるとともに、人物のまぶたに置かれた円形の物体が発見された。これは死者のまぶたに硬貨をのせるという慣例からきたものと結論づけられ、その硬貨の由来を辿ったところ、AD29年以降のピラーテ(ローマ領ユダヤの総督)統治下に生産されたもの、と判定されるに至った。 - 人物につけられた傷と聖書の記述の同定
3D立体画像や高解析度画像を元に、傷や血痕のない人物像を合成することに成功した。それは6世紀から13世紀にキリストの像として描かれた人物像とかなり近い姿となって現れた。また、人物の負った傷についても、- 背中の鞭打ちによる傷(ローマ帝国で用いられた、ムチの先に棘がついた複数個のボールをそなえたものによる打撃と判明)
- 十字形の重いものを背中に担いだときの打撲傷
- 頭に載せられた棘のついた冠による裂傷
- 磔にされた際の手首、足首の傷、そして
- 死亡を確認するために槍で突かれた第四・五肋骨間の刺し傷等、聖書が伝えるキリストの受難の様子と重なる部分が多いことが判明した。
- 血痕と血液型判定
布にしみ出した血痕から、血液型判定が行われた。この人物はAB型であるという。この血痕は④で傷の状態を調べる上でも利用された。また、血液は布全体に見られ、布の裏側にまで染みを残しているにもかかわらず、人物像は布の表側にしかみられない(写真のネガ状に写された場合には、裏まで像が投影される)というあらたな謎も提示している。 - 放射性炭素14法による布の年代測定
考古学でもっとも信頼をもって受け止められているこの炭素の放射性同位体(炭素14)の崩壊率による年代測定法。聖骸布の上部左端数センチを切り取り、オックスフォード(英国)、チューリッヒ(スイス)、トゥーソン(アリゾナ、米国)にて測定が行われた。
結果は、「1260~1390年のもの」。
しかし、これには疑問を唱える学者も多い。閉ざされた空間にある遺跡にある遺物の鑑定とは異なり、常に移動し、一定の保存状態にあったわけではない聖骸布は、たとえば火災にあった際に一時的に炭素の多い状態に置かれたわけで、それが結果に影響したのではないか。
また、布の半分以上に現在も生存し続けているバクテリアが生成したバイオプラスティック様被膜が結果に誤差をもたらした、など結果の信憑性を疑う批判がされている。いずれにせよ、聖骸布の真偽については依然として議論と研究がつづいている。
信者とバチカンと聖骸布
この博物館には資料はないが、多くのキリスト教信者は、聖骸布を本物だと信じて疑わない。
カトリック教会の最高指導者、法王ベネディクト16世は2010年にトリノを訪れ、聖骸布を目にし、
「血で描かれた聖像だ。むち打たれ、磔られ、脇腹を負傷した者の血だ。」
「全ての血の痕跡が愛と人生について語りかけている」と信者に語りかけた。
これは意図的に「聖遺物」という表現を避けて「聖像」という言葉を用いたものである。
それに先立って(2008年)は「謎に包まれた表情を見つめることのできる素晴らしい機会。その表情は、人の心に無心で語りかけ、神の顔をそこに見いだすように誘いかける」と述べている。
布の真偽のほどは明らかではないが、トリノの聖骸布がキリスト教最後の謎を秘め、信仰の対象となっていることは紛れもない事実である。
聖骸布博物館の基本情報
名称 | Museo della Sindone(聖骸布博物館) |
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おすすめ | |
住所 | Via San Domenico, 28, 10122 トリノ |
行き方 | トリノ大聖堂の正面からまっすぐ徒歩10分 |
電話番号 | +39 0114365832 |
休館日 | なし |
開館時間 | 9:00-12:00 / 15:00-19:00(最終入館は閉館1時間前) |
入館料 | €8 |
その他 | オーディオガイド無料貸出しあり 伊、英、仏、西語 |
サイト | https://sindone.it/ |
興味のある人は訪れてみましょう
聖骸布博物館は、聖骸布の安置されているドゥオモから徒歩10分。徒歩5分圏内には、東洋博物館、ホットチョコレート「ビチェリン」で有名な カフェ・アル・ビチェリン(Caffe' Al Bicerin)や、トリノで一番美しいと評判のコンソラータ教会もあります。博物館はゆっくり見て2時間、早ければ1時間程度で見学できます。イタリア在住:堂 剛 スタッフ一覧