ドゥカーレ宮殿 (Palazzo Ducale)・国立マルケ美術館 (Galleria Nazionale delle Marche)

Palazzo Ducale Urbino
リナッシメント広場前の外観

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中に入ると、まず中庭の回廊に出る

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国立マルケ美術館のメイン階2階の見取り図(クリックで拡大)
(写真:www.limen.org

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モンテフェルトロ家歴代君主のエンブレム

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小さな瞑想と休息の空間、フェデリーコの寝所
(写真:国立マルケ美術館)

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ピエロ・デッラ・フランチェスカの”セニガリアの聖母”

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寄木細工で埋め尽くされたフェデリーコ公の書斎

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王座の広間の大きさとタペストリーが壮観

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舞う天使の姿が愛らしく美しい暖炉の装飾

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3階、ローヴェレの居室では、多くの優れたマヨリカ陶器を見ることができる

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召使達が行き来していたであろう地下の空間

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小さいが落ち着けるパスクィーノの庭

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宮殿内にある美しいステンドグラス

最も美しい、ルネッサンス期の宮殿

イタリアのルネッサンス期の宮殿で最も美しいものの1つと称され、さらに他のどの建造物とも一線を引く特徴を備えているのがこのドゥカーレ宮殿、現国立マルケ美術館です。

1444年に権力を手にしたフェデリコ公は、イタリアで最も重要な宮殿の1つを築くべく、1454年ごろからまず公爵家の2つの離れた住居をひとつに繋げ、中庭の空間を創り出しました。宮殿が完成するまでに関わった建築家は4人、マーゾ・ディ・バルトロメオ、ルチアーノ・ラウラーナ、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、フィリッポ・テルツィです。

完成まで、なんと100年かかる

はじめの3人は、モンテフェルトロ家の時代に活躍し、フィリッポ・テルツィは、モンテフェルトロ家がローヴェレ家になってから宮殿の3階部分を完成させました。その年月は通算約100年。およそ1世紀の時間をかけて、この宮殿は現在の姿になったと言えます。

全盛のころには君主らや賓客をはじめとし、お付きの者や従者、馬丁、調理人、召使いなど、あわせて500人ほどの人々がここで生活し、出入りしていたそうです。
現在はこの美術館の最も重要な作品たちが集まる2階の空間には、祭礼の客間、この宮殿の最も古い部分であるヨーレの居室とメラランチ(オレンジ)の居室、客人の居室をはじめ、サンドロ・ボッティチェッリの下絵による寄木細工や扉の装飾のある天使の間(2014年5月現在修復中)や、謁見の間など壮麗な部屋が続きます。そして、この階で開かれていた夜会の様子は1528年にバルダッサーレ・カスティリオーネが著した”宮廷人”によって興味深く描かれています。

現在は国立マルケ美術館となる

この宮殿は現在国立マルケ美術館として多くの絵画、美術品が展示されており、その中でも2階にはこの美術館のメインとなる重要な作品が集まっています。 2階は6つのセクションに分かれており、それぞれのセクションは3〜7部屋で構成されています。それでは経路を辿りながらどのような作品が見られるか追っていきましょう。

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室内の作品ももちろんですが各部屋の扉の寄木細工やイヨーレの居室の入り口である”戦争の扉”のレリーフは戦の武具や紋章などの精密な細工がとてもフェデリーコらしく、細部に知的さを感じる空間です。(マルケ州:Yukiko Hayashi)


第1〜第7室目に当たる”イヨーレの居室”

ギリシャ神話の女性の名からとったこの空間はルーカ・デッラ・ロッビア作のマヨリカ釉がけのテラコッタ彫刻、”聖母と聖人達”をはじめ通称グレコと呼ばれたミケーレ・ディ・ジョバンニ・ダ・フィエゾーレ、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニらの彫刻作品が並び、室内はヘラクレスを讃えるモチーフやフェデリーコの傭兵隊長としての武勲を象徴するフリーズや暖炉の装飾がいたるところに見られます。 特にフェデリコ公の寝所であった大きな箱のような空間、”アルコバ・ディ・フェデリーコ”は寓意図像がちりばめられた興味深い作品です。

第8室〜第11室までの”メラランチの居室”

作品は中部イタリアを中心とした作家の中世後期のものとなり、ジョバンニ・バロンツィオやオリヴッチョ・チッカレッロなどの美しいポリプティク(多翼祭壇画)が観られます。ここは、おそらく宮殿にやってきた客人たちの寝室として使われていたと言われています。

第12室〜第15室 ”客人の居室”

1400年代のヴェネト地方やマルケ南部地方の絵画のほか、木製の彫刻作品や金貨などが展示されています。ここも、その名の通り遠方からの客人の居室として使われていました。

第16室〜第20室は”ドゥーカ(フェデリーコ公をさす)の居室”

この美術館で最も重要な作品群が集う空間で、”リアリズムの間”とも言われており、謁見の間と呼ばれる部屋(第16室)にはピエロ・デッラ・フランチェスカの”キリストの鞭刑”や”セニガッリアの聖母”、作者不明の”理想都市”が見られ、さらに進むと小さいながらすばらしいストゥッコのレリーフで装飾された”グイドバルドの礼拝堂”、その先にはどころである、”フェデリーコ公の書斎”(第18室)があります。ここにあるサンドロ・ボッティチェリ、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、ドナート・ブラマンテらによる下絵の寄木細工による緻密な壁面装飾は息をのむ美しさで、幾何学模様や遠近法をふんだんに使い、戦いを連想させる武器やよろい、芸術や徳のシンボルである品々が収められた戸棚など寓意図像が多く、それはフェデリーコの徳に結び付けられるものや、彼に授与された位階示すものでした。

また、壁面にかけられた”高名なる人々”の肖像は、ユストゥス・ファン・ヘントの筆による哲学者、詩人、神学者、預言者、聖人を讃えたものであり、それらの人々の教養はフェデリーコ公の思想が集約された理想的な空間を形作り、彼の知識への乾きを潤してくれたに違いありません。 青と金をふんだんに使った15世紀中ごろの天井装飾も見ものです。

第20室はかつてフェデリーコ公の寝室だった場所であり、スペイン人画家ペドロ・ベルゲーテに1475年に描かせた”大公フェデリーコと息子グイドバルドの肖像”があり、フェデリーコの膝下にはイングランド君主から授与されたガーター勲章が描かれています。グイドバルドの手には王権の後継者を意味する権杖が握られ、代々の子孫繁栄を願った家族像といえます。

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ピエロの作品でも有名な”セニガリアの聖母”、フェデリーコの娘、ジョバンナ・フェルトリアがセニガリアの君主であったジョバンニ・デッラ・ローヴェレのもとに嫁いだとき、フェデリーコがピエロに描かせたものと言われています。又、ラファエッロの名作”貴婦人の肖像”も彼女がモデルとされる説があり、名作とつながりの深い女性だったようです。(マルケ州在住:Yukiko Hayashi)


第21室〜第23室までは”代表団の広間”

この階でもとりわけ広い”天使の間”(第21室)、”王座の広間”(第22室)、”ヴェリエの間”(第23室)の3室で構成されています。 ”天使の間”はその名の通りドメニコ・ロッセッリによる天使のフリーズがあり、この間の門扉のアポロンとパリスの寄木細工も、ボッティチエッリの下絵によるすばらしいものです。 (2014年5月現在この間は修復中ですが、入ることは出来ます。修復作業は年内に終了予定) ”王座の広間”は、カスティリオーネ著の”宮廷人”の舞台となった広間で、驚くほど広い空間にフラマン人によって作られたラファエッロの下絵によるタペストリー、”使途行伝”が飾られています。

第24室〜第28室までは”公妃の居室”

第24室の”公妃の応接間”にはラファエッロの1507年の作品で1927年にフィレンツェのウフィッツイ美術館から運ばれてきた”貴婦人の肖像”(通称:黙っている女)と、小さい作品ですが”アレクサンドリアのカタリナ”の2作品のほか、第26室の”公妃の寝室”には、ヴェネツィア派の画家ティッツイアーノ・ヴェチエッリオが1542年から1544年にかけて描いた”最後の晩餐”と”キリストの復活”が見られます。(2014年5月現在、”貴婦人の肖像”は修復中です。)

ウルビーノがラファエッロの生まれ故郷であるにもかかわらず、彼の作品がウルビーノに数多く残されていない理由が歴史内の出来事から知ることが出来ます。モンテフェルトロ家がローヴェレ家となったのち、ウルビーノ公国最後の君主、フランチェスコ・マリア・3世・デッラ・ローヴェレの息子フェデリーコ・ウバルドがわずか18歳の時謎の死を遂げ、跡継ぎを失くした父親も失意のまま1632年にこの世を去ると、大公を失ったウルビーノ公国はローマ教皇に返還されます。ローヴェレ家の最後の末裔であったフェルナンド2世デ・メディチの公妃、ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレはモンテフェルトロ、ローヴェレ家の所有していた、多くのラファエッロの作品を含めた膨大な量の美術品を遺産として受け継ぎ、それらはトスカーナ大公の一族が住んでいたフィレンツェへと運ばれていったのです。その多くは現在、ウフィッツイ美術館や、ピッティ宮殿で鑑賞することができ、フィレンツエに訪れる多くの人々にウルビーノの歴史の魅力を伝えています。

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美術館2階にはラファエッロの父親、ジョバンニ・サンティの作品がいくつかありますがその画法の魅力もさることながらモンテフェルトロ領の景色からインスピレーションを得たと思われる多様な背景に心惹かれます。フィレンツェのウフィッツィ美術館にあるウルビーノ公夫妻の肖像の背景もここモンテフェルトロ領の実際の景色と重なるることで有名です。(マルケ州在住:Yukiko Hayashi)


美術館の地下も生活感があって見逃せません

美術館の3階は、1539年にウルビーノ公となった、グイドバルド・デッラ・ローヴェレが増築した”ローヴェレの居室”となっており、マニエリズムの代表的な画家であったフェデリコ・バロッチの作品の他、17世紀前半に活躍した画家の作品群や、陶器の町として栄えた当時のウルビーノのマヨリカ焼きの豊富なコレクションを楽しむことが出来ます。

美術館の外に出ると、1階の回廊から地下に入れる入り口があり、当時厩舎や厨房、浴室や貯蔵室などとして使われていた地下空間が見られます。テッラコッタ製の創建当時の水道管が展示してあるなど、華やかな階上とは一転して実際の生活を取り仕切っていた空間を興味深く見ることが出来ます。また、当時の宮殿の外装に使われていた石版や石柱などが見られる小さな考古学博物館も、宮殿の展示空間の一部として設営されています。(2014年5月現在、いくつかの作品は宮殿の修復作業のため別室に移動して展示されているものもあります)

華やかな時代のウルビーノを感じてください

こうして年代ごとに美術館内を見てゆくと、イタリア各地から海外の画家まで、ウルビーノ全盛期にこの地を訪れ足跡を残していった芸術家たちの軌跡を辿ることが出来ます。膨大な量のコレクションを誇る美術館ですが、1500年代から1600年代にかけてチェーザレ・ボルジアをはじめとする略奪者によって4回の強奪を受け、多くの重要なコレクションを失ってきました。しかしそれらの作品が今日世界各地でウルビーノの歴史の不思議さや魅力を語っているとも言えるでしょう。

マルケ州在住 Hayashi Yukiko
イタリア在住者からのアドバイス

山間部であるウルビーノは、朝夕と気温の差が激しいので、温度調節をしやすい服装で。坂道の多い街中を歩くにはスポーツシューズが1番です。朝早い時間のバスは学生で一杯、ということもあるのでゆったり動きたければ時間をずらして乗るのも策。

まずウルビーノに着いたら帰りのバス時刻の確認は必須、特に土日は気をつけましょう。陶器やかわいいお土産などは、ラッファエッロ通りヤビットーリオ・ベネト通りにいくつかお店が、レプッブリカ広場前のラファエッロ大学の回廊には地域の特産品を扱うGalleria aeという私のお気に入りのお店もあります。

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マルケ州在住 Hayashi Yukiko
ウルビーノを日本語でサポート

ウルビーノやグッビオなどマルケ州周辺の都市をご案内いたします。知られていない美しい町を日本語で通訳アテンドします。スーパーや市場のショッピング通訳、市内散策、バス観光のお供など便利で楽しい滞在をお手伝いします。
(林:hayashi-marche@amoitalia.com



名称 ドゥカーレ宮殿 (Palazzo Ducale)
国立マルケ美術館 (Galleria Nazionale delle Marche)
住所 Palazzo Ducale, Piazza Rinascimento 13, Urbino - Italy
Tel. +39 0722 2760
開館時間 月曜日:8:30 - 14:00(チケット売り場は12:30終了)
火〜日:8:30 - 19:15(チケット売り場は18.00終了)
休館日 1月1日、12月25日
入館料

5ユーロ

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