Gubbio

グッビオの町と歴史について(GUBBIO)

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山間に抱かれた美しい町、グッビオ

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グランデ広場からの町と山のハーモニー

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文明が栄えていたことを物語る古代ローマ劇場跡

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羊毛工業が盛んだった頃に作られた作業場一帯の眺め

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モンテフェルトロ領の歴史を物語る紋章

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大燭台の祭り、Festa dei Ceri
(写真:Paolo Mini)

豊かな歴史あふれる美しい山と陶器の町

旧石器時代にすでに文明を持ち生活していたことが遺跡から知られている、長い歴史を持つ町、グッビオ。マルケ州とウンブリア州の州境にある、中世の町並みと山岳地帯の自然とが美しく調和した、とても中部イタリアの魅力があふれるペルージャ県の町です。ルネッサンスの時代にはウルビーノ公、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの領地として支配下に置かれ、戦や占領の多かったグッビオの歴史の中で最も平安で文化的、芸術的に大きな開花を遂げます。またサン・フランチェスコがよく訪れた地としても知られており、彼のエピソードが書かれた”フィオレット”でも語られるように、グッビオの住民を脅かしていた山の狼が、幾度となくグッビオを訪れていたサン・フランチェスコと出会い、彼に改心するよう説得される話は有名です。それではローマ化以前からのグッビオの歴史を辿ってみましょう。

古代ローマ以前とローマ、ビザンチン帝国の支配下までのグッビオ

ラテン語でイグウィウム(Iguvium)とよばれていたグッビオ。青銅器時代の民族定住の跡が近代になって発掘され、その歴史の古さを証明しましたが、中でも世界の古代文明の遺物として最も重要なものの1つ、”イグウィウムの青銅版”が発見された場所でもあります。紀元前3世紀〜1世紀に制作されたと言われている7枚のこの青銅版には古代ウンブリア人の生贄の儀式の進行方法や決まりごと、民族内での制度などについて記されており、当時の文明の精神性を垣間見ることが出来ます。

紀元前3世紀頃からすでに古代ローマ帝国と協定を結んでいたとされており、自由都市としてクルストゥミーノ族に帰しながら、5000人を収容したとも言われる古代ローマ劇場跡からも見られるように華やかな古代ローマ文明が花開きました。
ところが古代ローマ帝国が崩壊し、ゴード戦争(535年〜554年)によりグッビオの町は破壊され、その後7〜8世紀には東ローマ帝国(ビザンツ帝国ともいう)の支配下に置かれ、幾度かロンゴバルド族による占領も受けるなど、穏やかでない時代が続きます。

司教の支配からモンテフェルトロ統治下へ

11世紀に入ると、司教の支配下にあったグッビオはついに自由自治体となりますが、神聖ローマ帝国の皇帝であり、イタリア政策に力を注いでいたフリードリヒ1世、通称赤ひげやハインリヒ6世は、グッビオの行政長官らに政治的な特権や賄賂としての私有地を与えることでグッビオの領地を広げつつ、自分達の勢力化に置こうと試みました。このことは近郊にあったベルージャを脅かし、両自治体間で領土をめぐっての戦いが起こります。1217年、この戦いに敗れたグッビオは、領地の拡大をあきらめざるを得なくなります。

その後1262年を境にゲルフ教皇派が行政の指揮を取り、1300年に起こったギベリン皇帝派の略奪の企て(失敗に終わる)以外は比較的穏やかな時代を過ごします。この時代にグッビオの人口は増え、羊毛業が盛んになり、新しい町の石垣や建築物が新設されました。

1350年〜1384年まではグッビオの領主の座をめぐって貴族や枢機卿の間で争いが絶えず、情勢は悪化し民衆は新しい政治を求めていました。そうして近郊ウルビーノ公国でモンテフェルトロ領を支配し、文化的、人文的政治で秀でていたモンテフェルトロ家に新しいグッビオの統治がゆだねられ、モンテフェルトロ領としてルネッサンス文化の開花を目指すこととなります。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの新しいグッビオから近代まで

グッビオの政権がモンテフェルトロに移り、1384年から1631年までの間、モンテフェルトロ家、デッラ・ローヴェレ家を通してグッビオに新しいルネッサンス文化が生まれます。ドゥカーレ宮殿をはじめとするルネッサンス様式の建築物が築かれ、古代ローマ時代、ゴシック時代の建築物と相まって現在見られる独特のグッビオの町並みが完成されてゆきます。この時代、グッビオは今までにない芸術的開花の時代を過ごし、グッビオの伝統工芸でもあるマヨリカ焼きの製造が多くの工房で行われ、ルストロと呼ばれる虹色の光沢のある装飾法がマストロ・ジョルジョによって広められました。

このように民衆は文化的に質の高い生活を営むことが出来たので、モンテフェルトロ家の治世に満足しており、そのため1502年のバレンティーノによる支配権の略奪や1516年〜1519年にかけてのメディチ家による一時的な占領のときも、グッビオの民衆はウルビーノ公への忠誠心を失うことなくモンテフェルトロ家に仕え続け、国の平安を守ったと言われています。跡継ぎがいなかったためローヴェレ家の時代が終わりウルビーノと同じく教皇下に支配が渡った後のグッビオは、政治的にも経済的にも徐々に悪化してゆきます。1798年、ナポレオンのイタリア遠征によって建国されたチザルピーナ共和国に統合されたグッビオはその後イタリア王国、イタリア共和国をへてウンブリア州に加わりました。支配権の略奪をめぐって波乱の歴史を辿ってきた町、グッビオ。

現在の穏やかな町の美しさからは想像が容易ではありませんが、深い緑の山々に埋もれる歴史深い小さなこの町は、モンテフェルトロを、サン・フランチェスコを、ウンブリアを語るとき、忘れてはいけないポイントの1つと言えるでしょう。

グッビオで有名なお祭り、Festa dei Ceri

グッビオで行われる有名なお祭りとして、大燭台のお祭り、”Festa dei Ceri”が毎年5月15日にあります。これは、燭台をかたどった巨大な3本の山車を中世の衣装を着た人たちが担いで町を練り歩くというダイナミックで規模の大きいお祭りで、グッビオの守護聖人、聖ウバルドを祭るための宗教的祭礼です。1つ300キロもあるといわれている山車を大勢の町民で持ち上げ、列になって町中を巡行する様子は、熱気にあふれ中世の町グッビオをより魅力的に見せてくれる国民的祭礼と言えるでしょう。

マルケ州在住 Hayashi Yukiko
在住者からのアドバイス

先史、中世、ルネッサンスとそれぞれの時代で魅力を満喫できるグッビオ。ゆっくりと滞在して、中心街以外にある修道院や教会などをめぐるのがグッビオ全体の魅力を知る良い方法でしょう。県境という場所を生かして近郊のマルケ州の中世の町めぐりも楽しんでは。山間の町なので温度調整を出来る服装で!

日本人アテンド
ウルビーノやグッビオなどマルケ州周辺の都市をご案内いたします。知られていない美しい町を日本語で通訳アテンドします。スーパーや市場のショッピング通訳、市内散策、バス観光のお供など便利で楽しい滞在をお手伝いします。(林:hayashi-marche@amoitalia.com

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